開発計画が判明してから今日までの出来事や私達の活動を時系列でまとめてみました。
2008年
5月 開発計画が判明
9月 平針の里山を守る会が発足
12月 1万人を超える開発反対の署名を名古屋市に提出する。
2009年
4月 開発業者が開発申請を提出し、名古屋市が受理する。
5月 宅地造成説明会が実施され、開発区域の約半分は小学校にな
ると説明。
河村市長は全面保全の考えを表明。業者はこれを拒否。
7月 平針の里山保全連絡協議会が発足。
宮崎駿監督から応援メッセージが届く。
9月 平針の里山保全の要望書を3万人超の署名を添えて提出。
10月11日 市長が「平針の里山をCOP10の象徴に」と環境省に 働きか
ける。
21日 市長は20億円で買取を表明。
24日 業者は28億円を売却額として提示。
12月11日 業者は買収か開発許可かの結論を要求し、15日までに回答
が無ければ25億円の損害賠償請求の訴訟を起こすと
表明。
15日 市長は25億円の内訳を検討した上で、鑑定価格19億 5000
万円を市が負担し、5億5000万円は寄付を募る。これが出
来なければ開発許可を出すと表明。
16日 「一般社団法人平針の里山保全協議会」に改組。
21日 平針の里山保全協議会は記者会見で「公正で透明な
手続きによる土地の買収求める」と表明。
22日 161戸の住宅地として開発許可が出される。
即日、開発に抗議の声明文を出す。
2010年
1月24日 「淵の森の会」会長宮崎駿氏ほか、河村市長宛に平針の森の
公有地化を求める決議文を採択。
5月13日 平針の里山保全協議会は、虚偽申請などの問題があるとし
て行政不服審査請求を行う。
28日 業者は変更届を提出し、施工業者をゼネコンから自社(株
式会社 菊和)に変更。里山工事用の出入口付近の樹木を伐
採、トラックの乗り入れの為の整地を開始。
6月 住民が里道を利用してバケツ稲を栽培していたにもかわら
ずトラ柵を立てて里道を封鎖。これは住民 の活動であるに
も関わらず自治会にも一切説明は無かった。この行為に対し
て市の開発指導課に抗議したが、全く対応してくれず。
8月 3日 名古屋市を相手取り開発許可取消訴訟を提訴。
10月25日 COOP10 の真最中に施工業者(=菊和)が伐採を開始し、
COP10 参加者にも平針の里山が広く知られるところとなる。
11月15日 車両制限令違反や境界未確定を理由に、工事の差し止め仮処
分を名古屋地裁に申請。
その後、業者は幅員6mの道路を使って土砂の搬入を開始
し、時としてダンプが一日200台も往復するも、車両通行許
可を取っていないことが判明。仮処分の申請でダンプの通行
問題を訴える。
2011年
2月 仮処分却下される。しかし、仮処分の成果として、車両の通
行が一日60台までと制限されることになる。
2月末 工事が休工となる。
(菊和は、一般建設業資格のため、作業に制限があり、伐
採と、土砂の搬入しか行えなかった。)
5月 施工業者が再度変更し、㈱菊和からアートプラン株式会社と
なる。
里山の工事が再開したが、施主である㈱菊和は住民への説明
会を実施しないまま工事を行おうとした。
6月 工事再開に当たっての工事説明会を住民側からアートプラン
㈱に直接要求することにより開催される。説明会で土曜休
工を要請するも拒否される。
9月 里山アンケートを実施
12月22日 開発計画の大幅な変更申請が許可される。
公園、緑地など10%となっていた公共スペースが1.5%
に減少。9mとなっていた外部の接続先道路の幅員が6mに
減少、逆に開発区域内のメイン道路は6mから8mに拡幅、
とイビツな状態になる。
2012年
1月 8日 業者により地区計画変更の説明会が実施される。
良好な住宅地として発展させる、と謳っているが、実際は
建蔽率を増やして売り易くしようというもの。
1月 9日 業者、地区計画の変更申請を名古屋市に提出
24日 近隣住民の意見書を住宅都市局に提出。
公園も緑地も無くなっており、さらに建ぺい率まで変更す
ると名古屋の緑被率目標に反するなどで、賛成できない」と
の主旨。
3月 変更許可に対する行政不服審査請求を提出。